三宅 芳夫 on Nostr: ...
「絶対主義」が19世紀前半に誕生した概念であり、これをそのまま18世紀に投射することは著者のキー概念である「回顧的錯覚」に他ならない、このことを少し補足しよう。
1830年以後の「フランス人の王」ルイ・フィリップの七月王政期は、ギゾーに代表される自由主義が思想局面を支配した時代。
ここでは、「アンシャン・レジーム」期ではなく、イギリスの寡頭的議会制をモデルにして、ルイ14世時代のブルボン王権を「絶対主義」と概念化し、それを克服せんとする言説が主流化した。
となれば、モンテスキューの英国をモデルにした「絶対王権」及び「専制主義」への批判は先駆的規範的モデルとなり、モンテスキューは19世紀の自由主義者達にとって範例としての地位を確立していく。
こうした観点は20世紀後半にF.フュレ達の「修正主義」者=新自由主義者達によって再び取り上げられ、再び仏の学界で主流化したが、新自由主義の破綻が明らかになった21世紀にはアバンス―ルをはじめとしたフランス革命再評価が再前景化している。
これに関連して言えば、著者は近世の欧州をおしなべて「神授説」的絶対王権と前提しているが、これも疑わしい。英国は勿論、フリードリヒ2世のプロイセンでさえ、王は「神」ではなく「国家」に責任をもつとされた(続く)。
1830年以後の「フランス人の王」ルイ・フィリップの七月王政期は、ギゾーに代表される自由主義が思想局面を支配した時代。
ここでは、「アンシャン・レジーム」期ではなく、イギリスの寡頭的議会制をモデルにして、ルイ14世時代のブルボン王権を「絶対主義」と概念化し、それを克服せんとする言説が主流化した。
となれば、モンテスキューの英国をモデルにした「絶対王権」及び「専制主義」への批判は先駆的規範的モデルとなり、モンテスキューは19世紀の自由主義者達にとって範例としての地位を確立していく。
こうした観点は20世紀後半にF.フュレ達の「修正主義」者=新自由主義者達によって再び取り上げられ、再び仏の学界で主流化したが、新自由主義の破綻が明らかになった21世紀にはアバンス―ルをはじめとしたフランス革命再評価が再前景化している。
これに関連して言えば、著者は近世の欧州をおしなべて「神授説」的絶対王権と前提しているが、これも疑わしい。英国は勿論、フリードリヒ2世のプロイセンでさえ、王は「神」ではなく「国家」に責任をもつとされた(続く)。