夢見りあむ@Twitterからきますた on Nostr: ...
転職して間もなく、祝日を含む三連休にありつくことができた。
また友人たちが休みを合わせて旅行に行くというので、せっかく収入も増えたからとお供させてもらった。
現地では過酷な食べ放題に手を出したり、旅館メシにももてなされたり、様々なグルメに舌鼓をうっていた。
そうこうしているうちに帰りの新幹線になり、関東に戻って各々が帰路に着いた。
上野駅でまた一人お別れしたときには、もう単独行動のターンになっていた。
明日からまた仕事。時間はまだ夕方。普通に考えれば、まっすぐ帰って身体を休め明日に備えるのが賢明な判断であろう。
しかし、何かが足りていなかった。
ぼくは、上野駅の改札を出ることにした。
10年来付き合ってきた壊れかけのキャリーケース、少しの間とはいえ、ゴロゴロ引っ張っていく気にはなれない。
未だにどこか慣れない上野駅の、広小路口付近にあったはずのロッカーを探す。しかし見つからない。
記憶違いか?しばし迷った末に、地下鉄入口のコインロッカーに荷物を押し込んだ。
いざ身軽になってみると、なんだか身体がフワッと浮き上がるような感覚だ。
盛り上がる飲み屋街と、客引きを警戒する警察官を尻目に、ぼくは目的地へと吸い寄せられた。
この場所だけは何となく覚えている。旅行帰りの度に訪れるのが恒例になっていた場所だ。
黄色い看板を探してさまようこと、体感10分ほどで、例のゴリラが見えてきた。
ゴーゴーカレーの看板は消灯していた。まさか臨時休業か?と焦るも、OPENの表札が見えたので恐る恐る扉を引いた。
「ドウゾー」
どこか懐かしい外国人の声がかかる。このチェーンはどこでも外国人店員だらけだ。むしろ今でもそうであることに安心さえ覚える。
券売機はと同じく、クレジット対応のものに切り替わっていた。しかしここに来たからには、頼むものは変わらない。
メジャーカレー、中盛1400円。かつては1000円札ひとつで買えた食券は、物価高でここまで値上がりしているようだ。
決済を済ませ、手頃な席を探す。マヨネーズのボトルが放置されているテーブルがあったので、これ幸いとばかりに腰かける。
夕飯には少しだけ早い時間であり、店内の客はほとんどいなかった。
暇そうな店員に食券を差し出すと、千切ることもなく「ショウショウオマチクダサーイ」と回収していった。
今回の旅行も色々あったなあ、と黄昏ている間に、あっという間にそれはやってきた。
チキンカツとトンカツに、エビフライとソーセージ、スライスされたゆで卵。横には申し訳程度のキャベツがつく。
思えば昔はキャベツ取り放題だったなあ…と思いつつ、ぼくは昔から福神漬けをこんもりと乗せる派だ。
そしてマヨネーズを惜しげもなくかける。揚げ物とゆで卵が乗ったコレを食べるなら、ケチってはいけない。
旅行は帰るまでがチートデイ。そう自分に言い訳させていく。
申し訳程度の良心として、キャベツとゆで卵から先に口へと運んでいく。
そしてカツを1切れ2切れ食べていくと、その下からアツアツのご飯と、申し訳程度のカレールーが顔を覗かせる。
こいつの濃さと、クセの強さがたまらない。初めて東京に遊びに来て以来、すっかり虜にされた味だ。
揚げ物とマヨ、そして白米とカレールー。これらが絡み合って「ゴーゴーカレー」を形成している。
チキンカツとトンカツは、その辺のスーパーと比べても薄っぺらく、決してジューシーでもない。
しかしこのカレールーと合わせるには、何となくこのジャンクなカツでないといけない気がする。
カレールーだけなら公式に市販されているものがいつでも手に入る。
しかし、この具材や福神漬け、そしてかけ放題のマヨネーズとの組み合わせは、どうにもお店でしか体験できないものだ。
「アレが食べたいの?家で作ってあげるから」と親に言われても納得いかない子供の気持ちが、こういう時にわかるような気がする。
しかし今のぼくは食事制限中の身だ。正直これを平らげられるかどうか不安だった。お腹へたまるものに快感と不安を覚えながら、懸命にフォークを進めていく。
そしてそれは杞憂だった。気がつけば皿は空になっていた。
ご飯を残さずきれいに食べることが、ぼくの数少ない長所であり誇りでもある。お米ひと粒残さずに片付け、最後にもう1杯お冷をあおる。
そこでようやく、この旅行が本当の意味で終わったことを察した。
多大な満足と少々の寂しさを感じながら、ごちそうさまを告げて店を後にした。
帰り道の飲み屋街はいっそう盛り上がり、客引きが店員に声をかけられる光景も見られた。
しかし1人でフラつく19歳に声をかける者はいない。ぼくなんて場違いにもほどがある。
しかしそれはどうでもよかった。むしろ、予定を組んで皆と行動した3日間において、誰にも干渉されずに思うがままのこの時間こそ、自分自身を取り戻したような気がしていた。
そして帰りの電車に乗りこみ、今こうして拙い文をしたためている。
もうすぐ最寄りにつく頃だ。家に帰ってドアを開けた時、本当の意味で連休が終わる。
その寂しさと満足感と、転職先でのぬぐい去れない不安を心に抱えながら…
また今度友人たちと会えることを楽しみにしつつ、との写真も振り返りながら、噛み締めるように画像を添付して、送信ボタンを押すのであった。
また友人たちが休みを合わせて旅行に行くというので、せっかく収入も増えたからとお供させてもらった。
現地では過酷な食べ放題に手を出したり、旅館メシにももてなされたり、様々なグルメに舌鼓をうっていた。
そうこうしているうちに帰りの新幹線になり、関東に戻って各々が帰路に着いた。
上野駅でまた一人お別れしたときには、もう単独行動のターンになっていた。
明日からまた仕事。時間はまだ夕方。普通に考えれば、まっすぐ帰って身体を休め明日に備えるのが賢明な判断であろう。
しかし、何かが足りていなかった。
ぼくは、上野駅の改札を出ることにした。
10年来付き合ってきた壊れかけのキャリーケース、少しの間とはいえ、ゴロゴロ引っ張っていく気にはなれない。
未だにどこか慣れない上野駅の、広小路口付近にあったはずのロッカーを探す。しかし見つからない。
記憶違いか?しばし迷った末に、地下鉄入口のコインロッカーに荷物を押し込んだ。
いざ身軽になってみると、なんだか身体がフワッと浮き上がるような感覚だ。
盛り上がる飲み屋街と、客引きを警戒する警察官を尻目に、ぼくは目的地へと吸い寄せられた。
この場所だけは何となく覚えている。旅行帰りの度に訪れるのが恒例になっていた場所だ。
黄色い看板を探してさまようこと、体感10分ほどで、例のゴリラが見えてきた。
ゴーゴーカレーの看板は消灯していた。まさか臨時休業か?と焦るも、OPENの表札が見えたので恐る恐る扉を引いた。
「ドウゾー」
どこか懐かしい外国人の声がかかる。このチェーンはどこでも外国人店員だらけだ。むしろ今でもそうであることに安心さえ覚える。
券売機はと同じく、クレジット対応のものに切り替わっていた。しかしここに来たからには、頼むものは変わらない。
メジャーカレー、中盛1400円。かつては1000円札ひとつで買えた食券は、物価高でここまで値上がりしているようだ。
決済を済ませ、手頃な席を探す。マヨネーズのボトルが放置されているテーブルがあったので、これ幸いとばかりに腰かける。
夕飯には少しだけ早い時間であり、店内の客はほとんどいなかった。
暇そうな店員に食券を差し出すと、千切ることもなく「ショウショウオマチクダサーイ」と回収していった。
今回の旅行も色々あったなあ、と黄昏ている間に、あっという間にそれはやってきた。
チキンカツとトンカツに、エビフライとソーセージ、スライスされたゆで卵。横には申し訳程度のキャベツがつく。
思えば昔はキャベツ取り放題だったなあ…と思いつつ、ぼくは昔から福神漬けをこんもりと乗せる派だ。
そしてマヨネーズを惜しげもなくかける。揚げ物とゆで卵が乗ったコレを食べるなら、ケチってはいけない。
旅行は帰るまでがチートデイ。そう自分に言い訳させていく。
申し訳程度の良心として、キャベツとゆで卵から先に口へと運んでいく。
そしてカツを1切れ2切れ食べていくと、その下からアツアツのご飯と、申し訳程度のカレールーが顔を覗かせる。
こいつの濃さと、クセの強さがたまらない。初めて東京に遊びに来て以来、すっかり虜にされた味だ。
揚げ物とマヨ、そして白米とカレールー。これらが絡み合って「ゴーゴーカレー」を形成している。
チキンカツとトンカツは、その辺のスーパーと比べても薄っぺらく、決してジューシーでもない。
しかしこのカレールーと合わせるには、何となくこのジャンクなカツでないといけない気がする。
カレールーだけなら公式に市販されているものがいつでも手に入る。
しかし、この具材や福神漬け、そしてかけ放題のマヨネーズとの組み合わせは、どうにもお店でしか体験できないものだ。
「アレが食べたいの?家で作ってあげるから」と親に言われても納得いかない子供の気持ちが、こういう時にわかるような気がする。
しかし今のぼくは食事制限中の身だ。正直これを平らげられるかどうか不安だった。お腹へたまるものに快感と不安を覚えながら、懸命にフォークを進めていく。
そしてそれは杞憂だった。気がつけば皿は空になっていた。
ご飯を残さずきれいに食べることが、ぼくの数少ない長所であり誇りでもある。お米ひと粒残さずに片付け、最後にもう1杯お冷をあおる。
そこでようやく、この旅行が本当の意味で終わったことを察した。
多大な満足と少々の寂しさを感じながら、ごちそうさまを告げて店を後にした。
帰り道の飲み屋街はいっそう盛り上がり、客引きが店員に声をかけられる光景も見られた。
しかし1人でフラつく19歳に声をかける者はいない。ぼくなんて場違いにもほどがある。
しかしそれはどうでもよかった。むしろ、予定を組んで皆と行動した3日間において、誰にも干渉されずに思うがままのこの時間こそ、自分自身を取り戻したような気がしていた。
そして帰りの電車に乗りこみ、今こうして拙い文をしたためている。
もうすぐ最寄りにつく頃だ。家に帰ってドアを開けた時、本当の意味で連休が終わる。
その寂しさと満足感と、転職先でのぬぐい去れない不安を心に抱えながら…
また今度友人たちと会えることを楽しみにしつつ、との写真も振り返りながら、噛み締めるように画像を添付して、送信ボタンを押すのであった。