村焼き式部 on Nostr: 「秋刀魚のはらわたは魄の毒ぞ」 ...
「秋刀魚のはらわたは魄の毒ぞ」
そう嘯く曽祖父が亡くなった。彼はガラクタに埋もれて亡くなった。御歳九十八の大往生だった。
彼は俗に言う健康オタクであり、曾孫の私から見ても偏屈家であった。そのため、独自のルールを作り、それを遵守した。それ故の長寿であったのかもしれない。
曾祖父が私に遺してくれたモノは、冒頭のその文句だけだ。そのせいで、私は秋刀魚を見る度にその言葉を思い出すハメになった。
ある日のことである。会社の同僚が、
「この時期は秋刀魚の内臓を舐めながら日本酒をヤるともーたまらん」
と力説してきた。彼は身振り手振りで秋刀魚への正しい所作、付き合い方、そして感謝を伝えてきた。
「オレ、家訓で秋刀魚の内臓食えんのよ。キノコの茎も食えん。縛りが多いんよ」
同僚が目を丸くする。そして一拍置いて、笑い出した。そんな家訓聞いた事ないと。私もそうだ。というか、今どき家訓だなんて時代錯誤もいいところだ。
「――まぁお前ん家、変わってるもんな。でも秋刀魚の内臓、美味いから食ってみ? 今の時期はな、内臓脂肪がすごいんだ、秋刀魚は。今の時期はもう海水温度が下がってて、その寒〜い海を乗り切るために脂肪をつけまくるんだ。身を捌くと白い脂が包丁にベッタリつくぐらい。その脂肪は、身についてるんだが、当然内臓にも溜まる。フォアグラってあるだろ? アレが秋刀魚の内臓にも起こる。鮟鱇もそうだ、あれは肝が美味い。秋刀魚の内臓は苦いって思い込みがあるだろ。アレはな、子どもの頃の思い出のせいだ。子どもの頃は舌の味蕾が大人よりも発達していて苦みとか渋みに敏感なんだ。その頃のトラウマのせいだ。お前も大人だ、今はもう大人なんだ。絶対に美味い。秋の味覚を楽しめ!」
そう勢いよく背中を叩かれ、同僚は外回りに出かけてしまった。私はモニターに映る自分の顔と向き合い、そして、家訓とも向き合い――ついに家に背く覚悟を決めた。
私は仕事の帰りがけに秋刀魚を買うことにした。白い発泡スチロールに氷と共に浮かぶ彼らは、恨みがましく私を睨んでいる。何十もの目に見つめられている最中、何故か一際目立つ秋刀魚が居た。やけに艶っぽいというか、瞳に熱っぽさを感じた。
惚れられたな、と直感で理解した。私が秋刀魚を選んだんじゃない、彼女が私を選んだのだ。運命する感じる邂逅に、私はいそいそとトングで彼女を救い出した。
アパートに帰りつき、米が炊けるまで時間が掛かるからまず何より先に炊飯器をセットし、その後身支度を整えて余った時間をSNSのチェックに費やした。
そして、米が炊き上がる時間を逆算して秋刀魚を焼き始める。
ものの数分も経つとじくじく、と。焼ける身と吹き出る脂の匂いが部屋に充満した。これから起こる素晴らしい時間を約束するような、食前酒の役割すら担う素晴らしい薫りだった。
ついに米が炊き上がり、秋刀魚も焼けた。食卓にはそれに合わせ、赤だしの味噌汁と漬物も用意した。私は大根の絞り汁で味が薄まるのでそのまま醤油か塩で秋刀魚は食べたいので、今回は用意しなかった。
私は震える箸で秋刀魚の身を破る。頭から尾までを正中線に箸を突き立て走らせ、身を捌く。身がほぐれていくにつれて、異様な高揚感に包まれていく。
ただ内臓を食べるだけ。しかし人は、禁止されていた事を破ること、公序良俗に反する事を行う時、言いようのないスリルを感じるのだ。それが、私にとっては秋刀魚の内臓を食べることだった。それだけの事だ。
身を開き、現れた骨の頭部側を断ち切る。そして尾に向かってゆっくりと釣り上げていくと内臓が――
「――あれ?」
現れると思っていた内臓。しかし私の目に飛び込ん来たのは――レゴブロックだった。
何を言っているのか分からないが、レゴブロックとしか言いようがない。本来、内臓があるべき場所に、黄色い2×1の薄いレゴブロックが現れたのだ。
「え、飲み込んだ…?」
すぐに否定した。本来、黒い内臓があるべき場所が全て綺麗になくなっているのだ。誤飲とは思えないし、それなら胃か腸かのどこかに入っていて然るべきだ。
「イタズラ? そんな事わざわざする? 今のご時世に?」
些細な事で現代はネットで燃える。こんなバイトテロ案件な事、起きるだろうか。それも有り得ない。それよりも今はこの、レゴブロックの方が重要だ。
――秋刀魚のはらわたは魄の毒ぞ。
ふと、曾祖父の言葉を思い出した。
「――!?」
急に、ケータイが鳴る。異常な事態に直面していたせいか、身体が飛び上がってしまった。
弾む心臓を抑え、ケータイに出る。母からだった。
「もしもし?」
「どしたの? 何か声が震えてるけど。大丈夫?」
「いや、何も無いけど」
「そう……あのね、何か私、変な夢を見てね。あなたが秋刀魚の内臓を食べる夢を見たの。まぁあなたはおじいちゃんの言うことちゃんと聞く子だから大丈夫だろうと思うけど」
そんな内容であった。見透かされているような薄ら寒さ、後ろめたさから早々に電話を切った。
「………………」
再度、秋刀魚と向き合う。もはや湯気も立たず、ただ腹を裂かれた秋刀魚は異様な存在感を放っていた。
私は意を決してレゴブロックを箸で摘まむ。取り去ろうと力を込める――が。
「動かない……!?」
箸の力ではピクリとも動かない。上下左右、どちらにズラそうとしても微動だにしない。箸を置き、手掴みでレゴブロックを動かそうとする。万力を込め、上に引っ張る。ほどなくして、身体を仰け反るほどの勢いでレゴブロックが抜けた。
「――は?」
レゴブロックが抜けた跡には、何故か一円玉大の穴が開いた。虚空だ。明らかにレゴブロックとのサイズが合わない。何故穴と分かったかと言うと、その黒い丸から僅かに風と反響音が聴こえてくるからだ。
私は咄嗟に秋刀魚の頭を箸で擡げさせる。無論、皿には穴など開いていない。そうすると秋刀魚からは穴が消え、薄い身と皮が見えた。それを確認して皿に置き直すと、また穴が現れる。数度繰り返し、私は秋刀魚を皿へ戻した。
「……何が起きてる?」
私はただ、同僚の勧めのまま秋刀魚の内臓を食べようとしただけだ。いや、それ自体が問題だったのか。祖父の忠告を守らなかった事が、今の不可思議な事態を引き起こしているのか。
「……ぞ…………ず、そだ……して…………」
どこからか誰かが話している声が聞こえた。それは、秋刀魚の穴からだった。私は、耳を穴に近づけた。すると――
「――葷酒ば避け在家にある三帰五戒を遵守し優婆塞、優婆夷の守護したるふかみるのかみたる群れ、陀羅尼を授け我が能化にて一切の衆生を救わん。冥加にし甘んじる東岸に在りし者どもはいさなのおろしとなるらむ」
耳を離し。私は秋刀魚を見た。すると、彼女の目が動き、私を見つめた。私は目を反らし、皿を持って立ち上がる。
私は、二度と秋刀魚のはらわたを食べようとは思わない。秋刀魚のはらわたは魄の毒なのだ。私は窓を開け、庭先に秋刀魚を投げ捨てた。即座にキジトラが現れ、それを咥える。そしてキジトラは口を三日月のように歪ませ、私にこう言った。
「この庭は我らだけでいっぱいだ。コイツを置くには狭すぎる」
と。
そう嘯く曽祖父が亡くなった。彼はガラクタに埋もれて亡くなった。御歳九十八の大往生だった。
彼は俗に言う健康オタクであり、曾孫の私から見ても偏屈家であった。そのため、独自のルールを作り、それを遵守した。それ故の長寿であったのかもしれない。
曾祖父が私に遺してくれたモノは、冒頭のその文句だけだ。そのせいで、私は秋刀魚を見る度にその言葉を思い出すハメになった。
ある日のことである。会社の同僚が、
「この時期は秋刀魚の内臓を舐めながら日本酒をヤるともーたまらん」
と力説してきた。彼は身振り手振りで秋刀魚への正しい所作、付き合い方、そして感謝を伝えてきた。
「オレ、家訓で秋刀魚の内臓食えんのよ。キノコの茎も食えん。縛りが多いんよ」
同僚が目を丸くする。そして一拍置いて、笑い出した。そんな家訓聞いた事ないと。私もそうだ。というか、今どき家訓だなんて時代錯誤もいいところだ。
「――まぁお前ん家、変わってるもんな。でも秋刀魚の内臓、美味いから食ってみ? 今の時期はな、内臓脂肪がすごいんだ、秋刀魚は。今の時期はもう海水温度が下がってて、その寒〜い海を乗り切るために脂肪をつけまくるんだ。身を捌くと白い脂が包丁にベッタリつくぐらい。その脂肪は、身についてるんだが、当然内臓にも溜まる。フォアグラってあるだろ? アレが秋刀魚の内臓にも起こる。鮟鱇もそうだ、あれは肝が美味い。秋刀魚の内臓は苦いって思い込みがあるだろ。アレはな、子どもの頃の思い出のせいだ。子どもの頃は舌の味蕾が大人よりも発達していて苦みとか渋みに敏感なんだ。その頃のトラウマのせいだ。お前も大人だ、今はもう大人なんだ。絶対に美味い。秋の味覚を楽しめ!」
そう勢いよく背中を叩かれ、同僚は外回りに出かけてしまった。私はモニターに映る自分の顔と向き合い、そして、家訓とも向き合い――ついに家に背く覚悟を決めた。
私は仕事の帰りがけに秋刀魚を買うことにした。白い発泡スチロールに氷と共に浮かぶ彼らは、恨みがましく私を睨んでいる。何十もの目に見つめられている最中、何故か一際目立つ秋刀魚が居た。やけに艶っぽいというか、瞳に熱っぽさを感じた。
惚れられたな、と直感で理解した。私が秋刀魚を選んだんじゃない、彼女が私を選んだのだ。運命する感じる邂逅に、私はいそいそとトングで彼女を救い出した。
アパートに帰りつき、米が炊けるまで時間が掛かるからまず何より先に炊飯器をセットし、その後身支度を整えて余った時間をSNSのチェックに費やした。
そして、米が炊き上がる時間を逆算して秋刀魚を焼き始める。
ものの数分も経つとじくじく、と。焼ける身と吹き出る脂の匂いが部屋に充満した。これから起こる素晴らしい時間を約束するような、食前酒の役割すら担う素晴らしい薫りだった。
ついに米が炊き上がり、秋刀魚も焼けた。食卓にはそれに合わせ、赤だしの味噌汁と漬物も用意した。私は大根の絞り汁で味が薄まるのでそのまま醤油か塩で秋刀魚は食べたいので、今回は用意しなかった。
私は震える箸で秋刀魚の身を破る。頭から尾までを正中線に箸を突き立て走らせ、身を捌く。身がほぐれていくにつれて、異様な高揚感に包まれていく。
ただ内臓を食べるだけ。しかし人は、禁止されていた事を破ること、公序良俗に反する事を行う時、言いようのないスリルを感じるのだ。それが、私にとっては秋刀魚の内臓を食べることだった。それだけの事だ。
身を開き、現れた骨の頭部側を断ち切る。そして尾に向かってゆっくりと釣り上げていくと内臓が――
「――あれ?」
現れると思っていた内臓。しかし私の目に飛び込ん来たのは――レゴブロックだった。
何を言っているのか分からないが、レゴブロックとしか言いようがない。本来、内臓があるべき場所に、黄色い2×1の薄いレゴブロックが現れたのだ。
「え、飲み込んだ…?」
すぐに否定した。本来、黒い内臓があるべき場所が全て綺麗になくなっているのだ。誤飲とは思えないし、それなら胃か腸かのどこかに入っていて然るべきだ。
「イタズラ? そんな事わざわざする? 今のご時世に?」
些細な事で現代はネットで燃える。こんなバイトテロ案件な事、起きるだろうか。それも有り得ない。それよりも今はこの、レゴブロックの方が重要だ。
――秋刀魚のはらわたは魄の毒ぞ。
ふと、曾祖父の言葉を思い出した。
「――!?」
急に、ケータイが鳴る。異常な事態に直面していたせいか、身体が飛び上がってしまった。
弾む心臓を抑え、ケータイに出る。母からだった。
「もしもし?」
「どしたの? 何か声が震えてるけど。大丈夫?」
「いや、何も無いけど」
「そう……あのね、何か私、変な夢を見てね。あなたが秋刀魚の内臓を食べる夢を見たの。まぁあなたはおじいちゃんの言うことちゃんと聞く子だから大丈夫だろうと思うけど」
そんな内容であった。見透かされているような薄ら寒さ、後ろめたさから早々に電話を切った。
「………………」
再度、秋刀魚と向き合う。もはや湯気も立たず、ただ腹を裂かれた秋刀魚は異様な存在感を放っていた。
私は意を決してレゴブロックを箸で摘まむ。取り去ろうと力を込める――が。
「動かない……!?」
箸の力ではピクリとも動かない。上下左右、どちらにズラそうとしても微動だにしない。箸を置き、手掴みでレゴブロックを動かそうとする。万力を込め、上に引っ張る。ほどなくして、身体を仰け反るほどの勢いでレゴブロックが抜けた。
「――は?」
レゴブロックが抜けた跡には、何故か一円玉大の穴が開いた。虚空だ。明らかにレゴブロックとのサイズが合わない。何故穴と分かったかと言うと、その黒い丸から僅かに風と反響音が聴こえてくるからだ。
私は咄嗟に秋刀魚の頭を箸で擡げさせる。無論、皿には穴など開いていない。そうすると秋刀魚からは穴が消え、薄い身と皮が見えた。それを確認して皿に置き直すと、また穴が現れる。数度繰り返し、私は秋刀魚を皿へ戻した。
「……何が起きてる?」
私はただ、同僚の勧めのまま秋刀魚の内臓を食べようとしただけだ。いや、それ自体が問題だったのか。祖父の忠告を守らなかった事が、今の不可思議な事態を引き起こしているのか。
「……ぞ…………ず、そだ……して…………」
どこからか誰かが話している声が聞こえた。それは、秋刀魚の穴からだった。私は、耳を穴に近づけた。すると――
「――葷酒ば避け在家にある三帰五戒を遵守し優婆塞、優婆夷の守護したるふかみるのかみたる群れ、陀羅尼を授け我が能化にて一切の衆生を救わん。冥加にし甘んじる東岸に在りし者どもはいさなのおろしとなるらむ」
耳を離し。私は秋刀魚を見た。すると、彼女の目が動き、私を見つめた。私は目を反らし、皿を持って立ち上がる。
私は、二度と秋刀魚のはらわたを食べようとは思わない。秋刀魚のはらわたは魄の毒なのだ。私は窓を開け、庭先に秋刀魚を投げ捨てた。即座にキジトラが現れ、それを咥える。そしてキジトラは口を三日月のように歪ませ、私にこう言った。
「この庭は我らだけでいっぱいだ。コイツを置くには狭すぎる」
と。