わきまえないナニカのぴっち 삧치 ∀🌻 on Nostr: ...
この国は上から下までパターナリズムに染まっている気がする。良くも悪しくも「上が悪いから」とは言っても、それを変えさせるのは自分たちだとは思ってない。国民を“指導する“昔の小学校の教員みたいな政府。互いに依存関係。「文句は言っても本気で対立関係にはなれない国民性」。
それは(国民が主権者としての責務を果たすことは)けっして泉健太の「提案型野党」には繋がらない筈。枝野さんが市民の声に突き上げられて立憲民主を立ち上げたときにはその直感はあったように私には見えた、だから彼は繰り返し「あなたの力が必要です」と訴え続けていた。だけどそれも敢えなく潰えた。
この国はパターナリズムが骨の髄まで染み込んでいる。
私は共産党にしても、そのようなパターナリズムの匂いを感じてがっかりすることは少なくない。例えば小池晃さんみたいな人はその典型。「良い指導者」かもしれないけれど、国民をどこかで「上から教え導く対象」と見なしているように感じてしまう。
パターナリズムは、良くも悪しくも(「良かれと思って」という強者の侵入的な“善意“がそこには含まれる)、主体的な決定権を奪うようなものなのかなと最近私は考えているのだけど、だとしたらそこにはバウンダリーの脆弱さがあるのだろうと思う。強い者に自らの力の主体を開け渡してしまうような。
それは(国民が主権者としての責務を果たすことは)けっして泉健太の「提案型野党」には繋がらない筈。枝野さんが市民の声に突き上げられて立憲民主を立ち上げたときにはその直感はあったように私には見えた、だから彼は繰り返し「あなたの力が必要です」と訴え続けていた。だけどそれも敢えなく潰えた。
この国はパターナリズムが骨の髄まで染み込んでいる。
私は共産党にしても、そのようなパターナリズムの匂いを感じてがっかりすることは少なくない。例えば小池晃さんみたいな人はその典型。「良い指導者」かもしれないけれど、国民をどこかで「上から教え導く対象」と見なしているように感じてしまう。
パターナリズムは、良くも悪しくも(「良かれと思って」という強者の侵入的な“善意“がそこには含まれる)、主体的な決定権を奪うようなものなのかなと最近私は考えているのだけど、だとしたらそこにはバウンダリーの脆弱さがあるのだろうと思う。強い者に自らの力の主体を開け渡してしまうような。