What is Nostr?
村焼き式部 /
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2024-10-16 09:12:44

村焼き式部 on Nostr: 世はまさに大祠時代だ。 ...

世はまさに大祠時代だ。
 猫も杓子も祠祠と、今や祠は一大ムーブメントを超え、生活必需品となっている。
 世の中のニーズに応え、最近は持ち運び用の祠も増えて、中には服を着せたり散歩させたりと皆が思い思いの付き合い方をしている。
 テレビではこんなCMも流れている。
 
 『はい~! 私もこの”発酵産品”の祠を買ってから毎日が変わりました! なんと……30㎝も伸びたんです!!』

 嬉しそうに笑う老婆の背中から箪笥が生えていた。そこから様々な衣服が次々と飛び出しており、それに応じて老婆は歓喜の涙を流す。
 このように祠は人の生活になくてはならないモノとなっており、誰もが祠を求めて、そして愛して生活している。
 留まる所を知らない祠の人気は海外が本場だ。そもそもの発信は北米のSNSからだったと推測されている。有名なインフルエンサーから始まった常識のブレイクスルーは、瞬く間に世界を駆け巡った。影響の大きさは政治にも強く反映され、常任理事国の半数が祠を母体とした政治団体が政権を握っているのが現状である。
 何と素晴らしい事に、祠のお陰でこの地球上で行われている戦争・紛争は一時的に休戦し、誰もが自国に帰り現地で手に入れた祠を広めている。
 さらに、何処の国でも問題となっていた食糧難や低賃金、失職率などの問題も祠一つで解決したのだ。何せ祠があれば解決するのだから凄い話である。
 ある難民は言う。

 『祠がこのキャンプに来てくれてから生活は一変したよ。2時間もかけて水を汲みに行く必要も無いし物資の補給のために兵士たちに頭を下げなくてもいい。子どもたちも退屈しないし、祖国の事も忘れなくて済む』

 難民たちは曇天の空に逆さづりになって笑っている。時折、細長い手が彼らを握り連れ去ると皆が大声で泣きわめくが、その顔は笑顔のままで誰もが幸せそうな顔をしていた。主は決ませり、主は決ませりと弔いの煙と共に赤い鯉のぼりが歌う。
 我々はもう貧困にも差別にも闘争にも病苦にも悩まない。祠があってくれたお陰で、幸福に満ち満ちているのだから。


 おめでとう! 本当におめでとうございます!
 我々は成し遂げました。人類は打ち勝ったのです。
 誰も連れて行ってくださいなんて言いません! ここは楽園成り得たのです!

 あぁ良かった。あぁ良かった。良かった。
 なんて素晴らしいんだろう。なんて素晴らしいんだろう。なんてすばっ


 【T大人類学部助教 藤木矢守の日記より抜粋】
 【■■■によ■■■■る、9月18日。■■祠■■■肉である。よってその旨をここに■す】

 私が熊埜のフィールドワークを終えたら世界が一変していた。誰もかれも話が通じない。私が正気である事を証明――いや、保つためにここに記す。
 最初に気付いたのはラジオだった。そこで奇妙な放送が流れていた。
 『祠』
 これを礼賛するような、まるで何か新商品を褒めているかのような話ばかりするのだ。
 最初こそは他愛のない流行り物だと思っていたが、聞いているうちにおかしい事に気が付いた。
 その『祠』は、食べ物のようでもあるし生き物のようでもあるし、はたまた乗り物でもあるかのような――つまり、”何なのか分からない”のだ。
 その時は興味もなかった。山から降りて家内に電話をした時の事だ。原文ママに記す。

 「さっき仕事が終わった。これから山を降りて駅に向かう。だから、今日の夜には家に着くと思う」
 「分かったわ。ねぇ、アナタ。帰りに『祠』を買ってきてもらっていい? 切らしちゃってて、明日の宣旨に間に合わないの」
 「な、なんだって? もう一回言ってくれ、何を買ってくるんだ?」
 「『祠』よ! 知らないの? スーパー行けば売ってるから! アナタだって以前はそれ着て私に会いに来てくれたじゃない、忘れたの?」
 「……『祠』って、なんだ?」
 「……本気で言ってるの? アナタ、仕事で山ばかり入ってるから忘れちゃったんじゃない? 汁で茹でた時、あんなに言ってくれたじゃない!」
 
 そう言われて、電話が切られた。何かしらの病気の可能性を思い、同じ市に住む娘に連絡を取る。

 「――というわけで、お母さんの様子がおかしいんだ、仕事の終わりでいいから様子を見に行ってくれないか?」
 「いやいやいや、お父さん。『祠』だよ? この間、みんなで行ったじゃん! どうしちゃったの?」
 「行った? 『祠』ってどこの祠だ?」
 「は? 信じらんない、柿だよ。冬にさー、どうしてもって言うから揃えたのに捨てちゃって。飛ぶんだよねー。お父さん。後藤さんには挨拶したの? 『祠』持って挨拶しに来てくれたのに」

 話が通じなかった。もしかしたらと思い、私自身が脳または心に問題があるのかもしれないと思い、見当識の確認を取るが問題ない(自身での確認になるので信憑性はないのが問題だが)。しかし、私自身の正気は私自身しか保証できないため、もどかしい。
 スマートフォンで『祠』について検索する。
 私は、目を疑った。そこに書かれていたのは、私の知っている……何と言えばいいのか、人類史――いや、”認識”と言えばいいのか。何もかもが違うものになっていた。
 
 例えば宗教。あの四文字の神は『祠』であると云う。
 例えば宇宙。地球の衛星の名前は『祠』であると云う。
 例えば医療。日本人の死因第一位が『祠』であると云う。
 例えば家族。家長制度の戸主の呼称は『祠』であると云う。
 例えば神話。イザナミが去った先は『祠』であったと云う。
 例えば農耕。クサビコムギと交配したのは『祠』であったと云う。
 例えば日本史。2・26事件に使われた凶器は『祠』であったと云う。
 

 私は今、何処にいる。此処は私の在った世界なのだろうか。私は自身が見ているモノが何もかも信じられない。
 試しに里の様子を見に行った。皆普通に過ごしているように見えたが、何も繋がっていない犬用のリードを引いて楽しそうに歩いている子どもや、何も持たない手の平をずっと楽しそうに眺める若い女を見て、危険を感じて急いで離れた。
 恐らくだが、長時間『祠』を見たり聞いたりすることで認識が歪むのだろう。何も分かっていない状態ではあるが、私はそれを【感覚器官を通じて感染する精神病】であると仮定した。この現代、小型の情報端末を誰しもが所有している時代ではあまりに恐ろしすぎる疾病だろう。あくまで仮定だが。
 潜伏期間や劇症化などはあり得るのか。時間経過で治癒するモノである事を祈るが……往々にして精神病は正しい投薬やカウンセリング無しに寛解することはない。一縷の望みであるが、それに縋るほかない。

 私は思う。何が原因かは分からないが、私たち――私たち人類は、『祠』に破壊されたのだ。
 愛おしい、我々が連綿と紡いできた人類という種は、命脈は、歴史は、『祠』に壊された。何もかも壊された。私は先人たちに申し訳が立たない。ありとあらゆる営みが否定され、我々の足跡は蹂躙し尽くされ、我が物顔に踏み付けされている。私はそれが許せない。
 私はもう、この山から降りない。私一人になろうと、人類を守り続けてみるつもりだ。

 それが――――私たち人類が『祠』に出来る唯一の罪滅ぼしだろう。
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