火山たん/三原あかり/地学系V on Nostr: ...
コスモロジー、世界観というものはとても重要だ。客観的に絶対的に存在するかのように見える「世界」というものが、実は非常に主観的で尚且つ相対的であるのが真実に近いと僕は思っている。
たとえば、着物に身を包んだ女性のように見える人物と和装の男性のように見える人物が温泉街を2人で歩いていたとしよう。仮定のように話したが、彼女と僕の今の様子である。
周りの人間たちは、それを仲の良いカップルか夫婦だと思って特に気にはしない。せいぜい21世紀初頭に着物と和装で出歩く2人を珍しがる程度だ。それが、彼らの世界観の中における僕たちである。
ところが、彼女と僕の共有する世界観はそれとは違う。
この科学が発達した人間社会において都市伝説、または旧い民間信仰として語られる「ヒメガミ」。火山に対する信仰を糧として存在する山の化身であり、溶岩や火山灰を操る力を持つとされる。それが僕たちだ。慎重に巧妙に、かつ大胆に人間社会に溶け込んでいるが、僕たちは人間ではない。実際に火山を操り、人間とともに暮らしてきた。
自分自身は何者か、世界とはどのようなものであるかという情報を知っているか否かによって世界観は変わる。この箱根火山の各地に設置され首都圏4000万の人口を支える大型地熱発電所群は1950年代に日本政府の主導により確立された技術というのが人間社会での常識だ。しかし実際は、僕の隣に居る彼女ー箱根火山の化身であるハコミネさ、ハコちゃんか。言い慣れないなーが地下熱水帯とそこへの地熱をコントロールして安定供給させている。その見返りに人間側の日本政府は僕たちの存在を秘匿し、最大限のサポートをしてくれる。これが僕たちの「常識」だ。
「むろちゃん、後で黒たまご食べる?」
「良いね、じゃあ大涌谷の方に向かおうか」
他愛もない会話。人間と同じような立ち居振る舞い。しかし、決定的に違う正体。
観光客の賑わいの中を歩きながら、僕たちは認識の壁により隔てられた、2人だけの世界で生きている。
たとえば、着物に身を包んだ女性のように見える人物と和装の男性のように見える人物が温泉街を2人で歩いていたとしよう。仮定のように話したが、彼女と僕の今の様子である。
周りの人間たちは、それを仲の良いカップルか夫婦だと思って特に気にはしない。せいぜい21世紀初頭に着物と和装で出歩く2人を珍しがる程度だ。それが、彼らの世界観の中における僕たちである。
ところが、彼女と僕の共有する世界観はそれとは違う。
この科学が発達した人間社会において都市伝説、または旧い民間信仰として語られる「ヒメガミ」。火山に対する信仰を糧として存在する山の化身であり、溶岩や火山灰を操る力を持つとされる。それが僕たちだ。慎重に巧妙に、かつ大胆に人間社会に溶け込んでいるが、僕たちは人間ではない。実際に火山を操り、人間とともに暮らしてきた。
自分自身は何者か、世界とはどのようなものであるかという情報を知っているか否かによって世界観は変わる。この箱根火山の各地に設置され首都圏4000万の人口を支える大型地熱発電所群は1950年代に日本政府の主導により確立された技術というのが人間社会での常識だ。しかし実際は、僕の隣に居る彼女ー箱根火山の化身であるハコミネさ、ハコちゃんか。言い慣れないなーが地下熱水帯とそこへの地熱をコントロールして安定供給させている。その見返りに人間側の日本政府は僕たちの存在を秘匿し、最大限のサポートをしてくれる。これが僕たちの「常識」だ。
「むろちゃん、後で黒たまご食べる?」
「良いね、じゃあ大涌谷の方に向かおうか」
他愛もない会話。人間と同じような立ち居振る舞い。しかし、決定的に違う正体。
観光客の賑わいの中を歩きながら、僕たちは認識の壁により隔てられた、2人だけの世界で生きている。