三宅 芳夫 on Nostr: 『消え去る立法者』読み始める。 ...
『消え去る立法者』読み始める。
この世代の仏文研究者を代表する「秀才」だけあって叙述は基本的に明晰である。
ただし、まだモンテスキュー論の途中だが、分析/主張の「臍」の部分で、現代思想的隠喩へ「逃げる」傾向がある。
「あとがき」でまず柄谷行人、次にパスカル研究者の塩川徹也を挙げているだけあり、「研究書」というよりは、「研究の態を取った」批評、と言えそうである。
とは言え、近世ヨーロッパの「絶対君主制」という背景、法制史的な視点の強調など、本人の言う「インターディシプナリー」な広がりに接続した組み立てであるので、モンテスキュー・ルソーのテクストの読解の可否とは別に、批評すべき箇所も多く、またその批評が他の専門家への問題提起にも繋がり、さらには一般読者にとっても、近世像を再考するきっかけになるだろう。この点は、ここで継続的に取り上げていく。
私自身の哲学/思想の専門は20世紀なのだが、これを機会にルソー・モンテスキューを久方ぶりに再読するいい機会だと思っている。
ただ、現在までで言えることは、著者の視点、カバーする研究史の範囲は、やや「フランス中心主義」、「18世紀中心主義」に過ぎる。予め19世紀との関係は「切っている」が、守備範囲の筈の17世紀の記述が脆弱である(以下次号)。
この世代の仏文研究者を代表する「秀才」だけあって叙述は基本的に明晰である。
ただし、まだモンテスキュー論の途中だが、分析/主張の「臍」の部分で、現代思想的隠喩へ「逃げる」傾向がある。
「あとがき」でまず柄谷行人、次にパスカル研究者の塩川徹也を挙げているだけあり、「研究書」というよりは、「研究の態を取った」批評、と言えそうである。
とは言え、近世ヨーロッパの「絶対君主制」という背景、法制史的な視点の強調など、本人の言う「インターディシプナリー」な広がりに接続した組み立てであるので、モンテスキュー・ルソーのテクストの読解の可否とは別に、批評すべき箇所も多く、またその批評が他の専門家への問題提起にも繋がり、さらには一般読者にとっても、近世像を再考するきっかけになるだろう。この点は、ここで継続的に取り上げていく。
私自身の哲学/思想の専門は20世紀なのだが、これを機会にルソー・モンテスキューを久方ぶりに再読するいい機会だと思っている。
ただ、現在までで言えることは、著者の視点、カバーする研究史の範囲は、やや「フランス中心主義」、「18世紀中心主義」に過ぎる。予め19世紀との関係は「切っている」が、守備範囲の筈の17世紀の記述が脆弱である(以下次号)。